kashiwabara001
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十四年十一月七日︑日本では肌寒い十一月というが中支は蝿と汗の夏まだ盛んな気候永修河で水浴をしたとき各部隊から外国語修得者を上級部隊へ差出すべき命が下達され申出たそのまま部隊は南下をつづけて南昌に入り最前線の空気は刻々と来るべき苛烈な戦闘を思わせもはや永修河畔のことなど忘れて了つていた十一月もすぎ前線各中隊の夜戦がつづく 十二月の南昌前線の夜は寒く あやめも判らぬ闇の中に歩哨に立った十二月十六日の夜︑群る野犬を銃剣で制しつつ大隊本部■珍宝(?)の裏に廻ったときねむげな声で通信兵が「ナニ?■■︑■■?」と応答するのをきいて何事かと思ったがはからずも数日後十二月十九日郵便電報検閲要員として転属命令が下りた一転︑最前線の生活は再び漢口へ戻ることとなった今も時々 人間の運命を思わせるすぎし日のことである14年12月­29忘れもしない 十四年十二月十九日 まづ聯隊本部迄の道を 真赤な太陽が山に沈む その光をうけて 長い長い影を おとして歩き始めたあのときの姿 顔も手も真赤に染りつつ 独りでトラックで︑汽車で漢口迄戻っていったときのこと 南昌単独■舎の窓にふとみた星がキラキラと 空にかがやいていたあの夜のこと 十二月廿七日 報道部へ着す 山東哲貫がいたのにおどろく 彼の推薦がちからあったらし かくて十七年十月迄 二年十个月の漢口の生活が 始った  思えばこの転属で無事帰還できたのかも知れない

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