kashiwabara004
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四川︑貴州の山々もはるか 茜さす大陸にあってはるばると来つるもの哉と感深い玉  井伍長(火野葦平の弟、東大政治卒)と同内山部隊の増子か師岡揚子江は上海ー武漢︑武漢ー宜昌︑宜昌ー重慶の三区分で傾斜︑水流が異る︒武漢迄は一万トン級 宜昌迄は五千トン級 上流は千トン以下でないとゆけないといわれる︒宜昌よりは水流激しく三峡の険は水声両岸にこだまするという︒しかも水一たび渇れるときは水量減じて昨夜の碇泊は今朝はるか頭上の絶壁となるとさえいわれる︒写真左は船員も去り再び動く日をまつ宜昌はづれの舟︑「日本へ帰る船」とたわむれに書かれたのをこの目でみて︑兵の心を今更にして新たにした︒偶然この船はある雑誌に大写しにされている︒(第七冊末尾貼布)

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