kashiwabara007
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以上昭和十三年九月三日より十七日十二月七日に及ぶ四年三个月の第一回召集の生活の思出である戦争苛烈 米軍の爆撃に明けくれた二十年の第二回応召は流石に全く一枚の写真もない それからの敗戦と混乱と!記すことさえ惨にして酷︒ 時勢は移り今は当時の儘の説明は時代遅れとなった がそれはいうまい七册に及ぶこの記録を終えて 歴々たる漢口の思出︑十五年後の今も尚目をつむれば漢口のあの町あの景色︑掌をさす如く三年の生活により大阪よりも詳しく記憶に残る 春の風景 冬の漢口 思出す武漢の記憶はフィルムの如くめぐるあのときの仲間はどうしているだろうか 親しんだ支那人達は?しかしこれは一個の兵の思出にすぎない 肉親の不安︑戰争への呪詛 軍隊に於る兵の心境 そして勝つも敗けるも戦の渦中に於る人間の立場︑心情を思うとき軍閥への憤︑天皇の無力罵倒を禁じえない.まことに力なきクニタミこそ国家の名と階級権力の鞭の下にギセイになったのである 戰争から何を得たか 敗戦と苦しい生活と丈であり人間は環境の動物であるということの弱い果敢い姿丈である︒今このアルバムの頁をしづかにとぢようとするとき︑単なる一個の思出を超えそのすべての背景であったあの戦争への批判を以上のようにしつゝ戦争の姿を思出さうとすれば 私の耳にはどこからともなく海行かばの楽の音がわきおこりどよもしてくるように思われる︒ 国の命の儘に戦場の露と消えた将兵の霊よ安らかなれ そして戦争の合間に兵の心をヒタヒタとひたしたものとはと聞かれるなら︑特に好んで幾十回幾百回歌ったあの軍歌 特に昭和十六年五月廿六日荊門のくれなずむ大陸の茜さす山辺の空気を震してきこえてきた暁に祈るの軍歌を今も聞くように思われる 悲壮! 兵はひき千切られて大陸に南方に運ばれたのである︒歯をくいしばり汗と埃にまみれて幾十里 自ら兵の辛苦をなめた人だけにわかる気持である 過ぎし日をふりかえりわれとわが身をいとほしみみれば行きつく想いは生きてしあることこそこよなき幸とすべしであり戦場に朽てはてし英霊への同情敬弔であり戦争反対呪詛につきるのみである︒

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