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 ●明の孝陵(南京) 南京朝陽門外約三哩を距てた鐘山の南西麓に築かれた明の孝陵は、太祖洪武帝と其妃馬皇后を合葬したもので、周圍の景觀の宏壯雄大は今日も尚ほ當時明朝の盛運を偲ばしむるものがある。長髮賊の亂には南京城と共に兵火の災に罹つて廟堂は烏有に歸した以來今尚ほ頽廢に委せられて居る。此の寫眞を撮るために櫻井が南京停車場前で群集に包圍攻擊を受けあはや排日騷ぎの犧牲にならんとした時、彼の大説敎に感激して尋ねて來た二人の敎師と五人の學生は、とう(とう)此寫眞を撮るために頭に繃帶した櫻井を案内してくれた。印畫會としては尊い記念の撮寫である。 (印畫の複製を嚴禁す)//●明の孝陵(南京) 南京朝陽門外約三哩を距てた鐘山の南西麓に築かれた明の孝陵は、太祖洪武帝と其妃馬皇后を合葬したもので、周囲の景観の宏壮雄大は今日も尚ほ当時明朝の盛運を偲ばしむるものがある。長髪賊の乱には南京城と共に兵火の災に罹つて廟堂は烏有に帰した以来今尚ほ頽廃に委せられて居る。此の写真を撮るために桜井が南京停車場前で群集に包囲攻撃を受けあはや排日騒ぎの犠牲にならんとした時、彼の大説教に感激して尋ねて来た二人の教師と五人の学生は、とう(とう)此写真を撮るために頭に繃帯した桜井を案内してくれた。印画会としては尊い記念の撮写である。 (印画の複製を厳禁す)

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