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●西方窟全景 一(山西省雲岡)北魏が山西の大同府に都をさだめて六朝文明を創剏したことは支那文化史上の一偉觀である。雲岡靈巖の石佛寺は文成帝の時、曇曜といふ沙門の進言によつて開鑿された佛敎藝術の一大殿堂であるが、今から一千四百年前の遺跡として世界的價値を有するものである此の石窟に遺存された大小數百の彫刻は西域地方から輸入された希臘印度の思想と北支柘跋民族の藝術的天才との接觸交流に依つて出來上つたもので、朝鮮から日本に這入つた所謂推古式佛敎美術の源流をなすものとして宗敎的に見るも藝術的傳統から見るも吾々の精神界の故土であらねばならぬ。(印畫の複製を嚴禁す)//●西方窟全景 一(山西省雲岡)北魏が山西の大同府に都をさだめて六朝文明を創剏したことは支那文化史上の一偉観である。雲岡霊巌の石仏寺は文成帝の時、曇曜といふ沙門の進言によつて開鑿された仏教芸術の一大殿堂であるが、今から一千四百年前の遺跡として世界的価値を有するものである此の石窟に遺存された大小数百の彫刻は西域地方から輸入された希臘印度の思想と北支柘跋《拓跋》民族の芸術的天才との接触交流に依つて出来上つたもので、朝鮮から日本に這入つた所謂推古式仏教美術の源流をなすものとして宗教的に見るも芸術的伝統から見るも吾々の精神界の故土であらねばならぬ。(印画の複製を厳禁す)

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