atoingashu004
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●陰山(綏遠省・五原) 陰山は土人之れを大靑に呼稱する。綏遠の正北から始まつて五原の曠野を西に走つて居る。東西數百支里の間一直線の斷層を形成して恰かも一大障壁の如く蒙古と綏遠平原との自然の防備線となつて居る。 陰山は最高三百米突、白道嶺の要害は趙の武靈王が雲中を防護した所として傳はる。包頭から五原への所謂古來の西域路は陰山麓を通ふて、下には黃河の流を瞰下し上には峯上の白雪を仰ぐところ塞外凄慘の光景である。 (印畫の複製を嚴禁す)//●陰山(綏遠省・五原) 陰山は土人之れを大青に呼称する。綏遠の正北から始まつて五原の昿野を西に走つて居る。東西数百支里の間一直線の断層を形成して恰かも一大障壁の如く蒙古と綏遠平原との自然の防備線となつて居る。 陰山は最高三百米突、白道嶺の要害は趙の武霊王が雲中を防護した所として伝はる。包頭から五原への所謂古来の西域路は陰山麓を通ふて、下には黄河の流を瞰下し上には峯上の白雪を仰ぐところ塞外凄惨の光景である。 (印画の複製を厳禁す)

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