atoingashu004
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●路傍の修行僧 雨の日も風の日もあろう、地べたに座するには聊さか乞食らしい。苟くも修行僧としての態度は石上か木台の上か座禪を組むだけの方尺の天地が必要である。喜捨を目的とするのではない悟達を専念するのたなど理窟をこねたか何うか、四脚の台座に座禪して長閑かな春の海を去來する眞帆片帆の景色を眺めて、今日も一日を木魚を叩いて暮す修行者の心には、諦觀止水の姿がなければならぬ。 (印畫の複製を嚴禁す)//●路傍の修行僧 雨の日も風の日もあろう、地べたに座するには聊さか乞食らしい。苟くも修行僧としての態度は石上か木台の上か座禅を組むだけの方尺の天地が必要である。喜捨を目的とするのではない悟達を専念するのたなど理窟をこねたか何うか、四脚の台座に座禅して長閑かな春の海を去来する真帆片帆の景色を眺めて、今日も一日を木魚を叩いて暮す修行者の心には、諦観止水の姿がなければならぬ。 (印画の複製を厳禁す)

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