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●五亭橋(楊州) 南の楊州、北の天津とを結ぶ大運河は隋の煬帝の開鑿したもので所謂「京口瓜州一水間」である。古來楊州は美人の産地、雅懷風流の水都である。五亭橋は小金山から蜀崗に通ずる濠溝に架せられた石橋で、橋上五ツの亭子をしつらへたところからの名だ。淸の乾隆南巡の際楊州美人を徵發して錦綉の䌫をもつて乘御の畫舫を曳かしめたところである。 (印畫の複製を嚴禁す)//●五亭橋(楊州) 南の楊州、北の天津とを結ぶ大運河は隋の煬帝の開鑿したもので所謂「京口瓜州一水間」である。古来楊州は美人の産地、雅懐風流の水都である。五亭橋は小金山から蜀崗に通ずる濠溝に架せられた石橋で、橋上五ツの亭子をしつらへたところからの名だ。清の乾隆南巡の際楊州《揚州》美人を徴発して錦綉の纜をもつて乗御の画舫を曳かしめたところである。 (印画の複製を厳禁す)

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