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●普寧寺の展望 (熱河省承德) (一般名は大佛寺) 乾隆二十年五月、準噶爾(新疆北部)を平定し、同年十月には額魯特[エルト]蒙古四部(靑海新疆北部)の長を承德の避暑山莊に招いて大いに宴を開いた。そして皇祖が喀爾喀[カルカ]を平定した時多倫諾爾[ドロンノール]に彙宗寺を建てゝ人心を歸一せしめたのにならひ、この寺を起すことにした。蒙古では當時旣に黃喇嘛敎を信仰してゐたので、西藏の三摩耶廟の制を教んで建てたといふが、それほど西藏色が濃厚とは思へない。 (印畫の複製を嚴禁す)//●普寧寺の展望 (熱河省承徳) (一般名は大仏寺) 乾隆二十年五月、準噶爾(新疆北部)を平定し、同年十月には額魯特[エルト]蒙古四部(青海新疆北部)の長を承徳の避暑山荘に招いて大いに宴を開いた。そして皇祖が喀爾喀[カルカ]を平定した時多倫諾爾[ドロンノール]に彙宗寺を建てゝ人心を帰一せしめたのにならひ、この寺を起すことにした。蒙古では当時既に黄喇嘛教を信仰してゐたので、西蔵の三摩耶廟の制を教んで建てたといふが、それほど西蔵色が濃厚とは思へない。 (印画の複製を厳禁す)

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