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●須彌福壽廟 (熱河省承德) (別名・札什倫布廟) 乾隆四十五年(西紀一七八〇)皇帝七旬の賀を祝ふために後藏から遙々と班禪額德尼[パンチエンエルデニ]喇嘛が來たので、この廟を勅建して住まわしめた。黃喇嘛敎は興祖宗喀巴[ツオンカパ]の後、二大弟子の達賴[ダライ]喇嘛と班禪喇嘛との二派に分れ、前者は布達拉[ブダラ]廟に、後者は扎什倫布[ダーシロンブ]廟に住む。この名稱が承德でも其のまゝ採用された。チベツト語の扎什は福壽、倫布は須彌山を意味するから、漢譯して須彌福壽廟と呼ぶ。 (印畫の複製を嚴禁す)//●須弥福寿廟 (熱河省承徳) (別名・札什倫布廟) 乾隆四十五年(西紀一七八〇)皇帝七旬の賀を祝ふために後蔵から遥々と班禅額徳尼喇嘛が来たので、この廟を勅建して住まわしめた。黄喇嘛教は興祖宗喀巴[ツオンカパ]の後、二大弟子の達頼[ダライ]喇嘛と班禅喇嘛との二派に分れ、前者は布達拉[ブダラ]廟に、後者は扎什倫布[ダーシロンブ]廟に住む。この名称が承徳でも其のまゝ採用された。チベツト語の扎什は福寿、倫布は須弥山を意味するから、漢訳して須弥福寿廟と呼ぶ。 (印画の複製を厳禁す)

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