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◎閭山(一) (閭山) 遼西の醫巫閭山として支那名山の一に數へられた閭山は北鎮の城內十二滿里の地にあり、高さ十餘里、周圍二百四十里と記されてある名所である。一時は遼西馬賊の巢窟と荒されたが今は國立公園として滿洲名所の雄たるもの遊客を呼ぶのも近い日の事である。 (印畫の複製を嚴禁す)//◎閭山(一) (閭山) 遼西の医巫閭山として支那名山の一に数へられた閭山は北鎮の城内十二満里の地にあり、高さ十余里、周囲二百四十里と記されてある名所である。一時は遼西馬賊の巣窟と荒されたが今は国立公園として満洲名所の雄たるもの遊客を呼ぶのも近い日の事である。 (印画の複製を厳禁す)

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