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◎朔風蕭條 (白溫沿線) 昭和六年六月、吾が中村、井杉兩氏は興安に近い蘇鄂公府の草原に屯墾軍のため尊い犠牲と消えたのが今の大東亞戰の遠い導火線だとも云へる。死の前數日二人が一夜の宿をとつたと云ふ三叉溝宿舎も今は壞れ果て、狀圖空しき無念の烈士が由緒ある廢址は唯蕭條たる朔風がはしるのみである。 (印畫の複製を嚴禁す)//◎朔風蕭条 (白温沿線) 昭和六年六月、吾が中村、井杉両氏は興安に近い蘇鄂公府の草原に屯墾軍のため尊い犠牲と消えたのが今の大東亜戦の遠い導火線だとも云へる。死の前数日二人が一夜の宿をとつたと云ふ三叉溝宿舎も今は壊れ果て、状図空しき無念の烈士が由緒ある廃址は唯蕭条たる朔風がはしるのみである。 (印画の複製を厳禁す)

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