ajiataikan002
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方孝孺の墓//南京//方孝孺の墓 (南京)//方孝儒は明初の碩學であり政治家であり烈士である。燕王に封ぜられて北平に居り守邊の任に當つて隱然たる勢力を有つてゐた太祖の弟棣、即ち後の成祖永樂帝が君側の姦を攘ふを名として靖難の軍を起し終に京師を陷れて明祚を簒つた時、彼は召されて登極の詔を書かされた、彼は泣いて順逆を論じて從はぬ強ひらるゝに及んで蕪賊國を簒ふと書いて殺された。一族數百之に坐し門下八百之に殉じた。墓は南門外雨花臺の山腹にある。//方孝儒[方孝孺]は明初の碩学であり政治家であり烈士である。燕王に封ぜられて北平に居り守辺の任に当つて隠然たる勢力を有つてゐた太祖の弟棣、即ち後の成祖永楽帝が君側の姦を攘ふを名として靖難の軍を起し終に京師を陥れて明祚を簒つた時、彼は召されて登極の詔を書かされた、彼は泣いて順逆を論じて従はぬ強ひらるゝに及んで蕪賊国を簒ふと書いて殺された。一族数百之に坐し門下八百之に殉じた。墓は南門外雨花台の山腹にある。//

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