ajiataikan002
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石佛古寺//雲崗石窟//石仏古寺 (雲崗石窟)//大同府城の西三十支里、武州塞の靈巖に無數の石窟佛龕がある、通稱「雲崗石窟」といふ、石窟の前面に一寺院あり、これを「石佛古寺」と呼び、石窟古寺を合せて俗に「大同石佛寺」といふ、石窟石佛は魏の文帝即位の年(西紀四五二年)頃より起工し、七八十年間繼續開鑿して成る、沙門曇曜の創立に係り後人これを續いだものである、寺は最初「石窟寺」と稱し、多數建連らねたるも、今は僅に一寺を殘すのみ、而も淸代の重修に係る。//大同府城の西三十支里、武州塞の霊巌に無数の石窟仏龕がある、通称「雲崗石窟」といふ、石窟の前面に一寺院あり、これを「石仏古寺」と呼び、石窟古寺を合せて俗に「大同石仏寺」といふ、石窟石仏は魏の文帝即位の年(西紀四五二年)頃より起工し、七八十年間継続開鑿して成る、沙門曇曜の創立に係り後人これを続いだものである、寺は最初「石窟寺」と称し、多数建連らねたるも、今は僅に一寺を残すのみ、而も清代の重修に係る。//

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