ajiataikan002
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天文臺//天文台//農業民族なる有夏族の天子は民に時を授くるを古來その最も重き職務の一とせられてあつた、從て天文歷數は支那に於てもかなりの進歩を示したが、尚西洋新學術に對抗すべくもなかつたので、明末淸初朝廷は基督敎士を擧げてその改革を期した、圖は康毅帝に用ひられて欽天監正(天文臺長)となつた白耳義人南懷仁が作つた機械の一つ、朝陽門と東南角樓との間城壁の上なる觀象臺にある。//農業民族なる有夏族の天子は民に時を授くるを古来その最も重き職務の一とせられてあつた、従て天文歴数は支那に於てもかなりの進歩を示したが、尚西洋新学術に対抗すべくもなかつたので、明末清初朝廷は基督教士を挙げてその改革を期した、図は康毅帝に用ひられて欽天監正(天文台長)となつた白耳義人南懐仁が作つた機械の一つ、朝陽門と東南角楼との間城壁の上なる観象台にある。//

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