ajiataikan004
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寧古塔(ニングタ)//寧古塔(ニングタ)//1927.10//寧古塔の語義は滿洲語で「六箇」である。淸朝ではこゝに寧古塔將軍を置いて吉林全省を統べしめてゐたが土地僻遠のため後、將軍府は吉林へ移された。尚こゝは既に古く渤海、金時代から政治上歷史的に著聞されてゐる。今人口三萬五千、豐沃な牡丹江流域平野の農產物集散地である。圖中圓筒狀の建物は支那番兵の屯所、このあたり匪賊出沒の盛なことの一證左である。|(一九二七、一〇、撮影)(印畫の複製を禁ず)//寧古塔の語義は満洲語で「六箇」である。清朝ではこゝに寧古塔将軍を置いて吉林全省を統べしめてゐたが土地僻遠のため後、将軍府は吉林へ移された。尚こゝは既に古く渤海、金時代から政治上歴史的に著聞されてゐる。今人口三万五千、豊沃な牡丹江流域平野の農産物集散地である。図中円筒状の建物は支那番兵の屯所、このあたり匪賊出没の盛なことの一証左である。|(一九二七、一〇、撮影)(印画の複製を禁ず)//

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