ajiataikan005
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勅賜額//東寧//勅賜額 (東寧)//1928//間島より遠からざる東寧には、古くから鮮人の移住者が少くなかつた。そして東邊の繁榮には、これ等の鮮人は欠くべからざるものとなり、淸末國境の多事と共にこれ等鮮人の慰撫には當時の官憲も相當の力を拂つた。光緒八年、時の皇帝は勅旨を以て高安村の額を賜ひ、其の牌樓は今尚東寧鮮人部落に光つてゐるのだ。|(一九二八撮影)(印畫の複製を禁ず)//間島より遠からざる東寧には、古くから鮮人の移住者が少くなかつた。そして東辺の繁栄には、これ等の鮮人は欠くべからざるものとなり、清末国境の多事と共にこれ等鮮人の慰撫には当時の官憲も相当の力を払つた。光緒八年、時の皇帝は勅旨を以て高安村の額を賜ひ、其の牌楼は今尚東寧鮮人部落に光つてゐるのだ。|(一九二八撮影)(印画の複製を禁ず)//

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