ajiataikan005
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李攀龍の墓前//濟南//李攀竜の墓前 (済南)//1929//大儒李攀龍の名も、今人にとつて全く緣の薄い名である。然し彼は濟南の出身、明朝の磧學とし且唐詩選の撰者として、我が荻生徂徠一門に祖師と仰がれ、その學說が日本に於ける漢學の大系を型つたと聞くならば、吾人に取つて眞更無緣の人ではない。|墓は今この商埠地外に在り羊豬の踏むに任する石人石獸も憐れである。|(一九二九、撮影)(印畫複製を禁ず)//大儒李攀竜の名も、今人にとつて全く縁の薄い名である。然し彼は済南の出身、明朝の磧学とし且唐詩選の撰者として、我が荻生徂徠一門に祖師と仰がれ、その学説が日本に於ける漢学の大系を型つたと聞くならば、吾人に取つて真更無縁の人ではない。|墓は今この商埠地外に在り羊豬の踏むに任する石人石獣も憐れである。|(一九二九、撮影)(印画複製を禁ず)//

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