ajiataikan005
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北門の一鎖鑰//會寧//北門の一鎖鑰 (会寧)//1928.8//天正十九年七月二十四日、遁走せる王子を追ふて長驅北走せる加藤淸正は、逐にこの會寧に入つてその二王子を生擒し、かくてこの町の名は、秀吉の朝鮮征伐史にして既に記入された。|今や支鮮交通の一エポツクとして、吉會線は計劃せられ、この町の名が新に吾人の耳朶を打つ。豆滿江畔の一關門は、かくして今日も尚多忙である。|(一九二八、八撮影)(印畫の複製を禁ず)//天正十九年七月二十四日、遁走せる王子を追ふて長駆北走せる加藤清正は、逐にこの会寧に入つてその二王子を生擒し、かくてこの町の名は、秀吉の朝鮮征伐史にして既に記入された。|今や支鮮交通の一エポツクとして、吉会線は計画せられ、この町の名が新に吾人の耳朶を打つ。豆満江畔の一関門は、かくして今日も尚多忙である。|(一九二八、八撮影)(印画の複製を禁ず)//

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