ajiataikan006
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節孝坊//曲阜//節孝坊 (曲阜)//1929//曲阜北門を出て、至聖林神路に入らんとする所に在り、節孝とは貞節孝順なる婦を云ふ多く夫死し貞節を完ふしたる婦人に勅旨を以て坊を立て門閭に旌表す。この坊は陶氏と稱する婦人の節孝坊、坊に題して『節並松筠』とあり、康熙帝の御筆である。陶氏は大興の處士承德の女、蚤く寡となり、子を撫し、祀を承け、其子卒し又孫を撫し母となり父となり師となり、よく鞠育の任を果し年八十にして卒すと云ふ。|(一九二九年撮影)(印畫の複製を禁ず)//曲阜北門を出て、至聖林神路に入らんとする所に在り、節孝とは貞節孝順なる婦を云ふ多く夫死し貞節を完ふしたる婦人に勅旨を以て坊を立て門閭に旌表す。この坊は陶氏と称する婦人の節孝坊、坊に題して『節並松筠』とあり、康煕帝の御筆である。陶氏は大興の処士承徳の女、蚤く寡となり、子を撫し、祀を承け、其子卒し又孫を撫し母となり父となり師となり、よく鞠育の任を果し年八十にして卒すと云ふ。|(一九二九年撮影)(印画の複製を禁ず)//

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