ajiataikan009
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須彌福壽廟//須弥福寿廟//乾隆四十五年(西曆一八八○)高宗帝七十の賀を祝ふために班禪額爾德呢が後藏から遙々避暑山莊まで來たので、皇帝は是を嘉みし札什倫布廟を建てて其處に居らしめた。唐古特語の札什は福壽、倫布は須彌山であるから札什倫布廟即ち譯して須彌福壽廟となる。|嘗ては屋檐に渡金して莊嚴を極めたものであり、建築の結構も雄大、特に後方の琉璃六重塔は華麗な姿を誇示してゐる。|(印畫の複製を禁ず)//乾隆四十五年(西暦一八八○)高宗帝七十の賀を祝ふために班禅額爾徳呢が後蔵から遥々避暑山荘まで来たので、皇帝は是を嘉みし札什倫布廟を建てて其処に居らしめた。唐古特語の札什は福寿、倫布は須弥山であるから札什倫布廟即ち訳して須弥福寿廟となる。|嘗ては屋檐に渡金して荘厳を極めたものであり、建築の結構も雄大、特に後方の琉璃六重塔は華麗な姿を誇示してゐる。|(印画の複製を禁ず)//

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