ajiataikan011
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北鎭の雙塔//錦州省北鎭縣//北鎮の双塔 (錦州省北鎮県)//北鎭は民國以後の名で、以前は廣寧と呼んでゐた。廣寧は金代から始まつた名稱であるが、遼代には顯州と呼ばれてゐたらしい。尤も顯州は今の北鎭の東三十里附近にあるとの推定が一部で採られてゐるが(滿洲歷史地理第二巻二十頁)それは誤解のやうである。|顯州は東丹王の顯陵が建設されると共に始められた遼朝としては由緒深い土地だ。遼代の塔があつても當然である。(印畫の複製を禁ず)//北鎮は民国以後の名で、以前は広寧と呼んでゐた。広寧は金代から始まつた名称であるが、遼代には顕州と呼ばれてゐたらしい。尤も顕州は今の北鎮の東三十里附近にあるとの推定が一部で採られてゐるが(満洲歴史地理第二巻二十頁)それは誤解のやうである。|顕州は東丹王の顕陵が建設されると共に始められた遼朝としては由緒深い土地だ。遼代の塔があつても当然である。(印画の複製を禁ず)//

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