ajiataikan011
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閣碑//熱河 承德//碑閣 (熱河 承徳)//頂彌福壽廟の建築配置は普陀宗乘之廟に似た点が多い。山門の北には碑閣があり、閣内に乾隆帝御製の文章を刻んだ碑が立つ。|碑文には先づ黃教が宗喀巴によつて興こされ、次いで二大弟子があり、一方は今の達賴喇嘛、他の一方は今の班禪爾德尼(エルデニ)に及んだこと、今回班禅喇嘛が招かないのに來京し、帝の七十に賀に当るのを慶祝しようとするので、玆に寺を建てたこと等が述べてある。時は乾隆四十五年のことである。(印畫の複製を禁ず)//頂弥福寿廟の建築配置は普陀宗乗之廟に似た点が多い。山門の北には碑閣があり、閣内に乾隆帝御製の文章を刻んだ碑が立つ。|碑文には先づ黄教が宗喀巴によつて興こされ、次いで二大弟子があり、一方は今の達頼喇嘛、他の一方は今の班禅爾徳尼(エルデニ)に及んだこと、今回班禅喇嘛が招かないのに来京し、帝の七十に賀に当るのを慶祝しようとするので、玆に寺を建てたこと等が述べてある。時は乾隆四十五年のことである。(印画の複製を禁ず)//

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