ajiataikan012
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三樓石//關東州//三楼石 (関東州)//三樓石は土城子會唐房警察官吏派出所の東北約一里、二龍山廟の西丘上に在り。本寫眞の如く三個の巨石よりなる。最下の巨石の大きさは、周圍約一二・三米、高さ約一・六五米で、其の上に周圍約一〇・四米、高さ約一・四米、の巨石があり、共に稍々直方体形をなし、最上部の巨石は周圍五・六米、高さ一・〇五米位稍々卵形狀をなしてゐる。|蓋し中及上の兩巨石は人為的に持ち來たるものと思はれる。この所在丘及び附近には石器時代の遺物包含層があれば、これを石器時代の巨石文化の一と想像することは、あながち牽強附會と一笑することは出來ないであらう。傳說によれば唐代薛禮が高勾麗征伐の時、自己の力量を見せる為めに積みあげたる巨石であると云ひ、又唐代牧馬の看視台として築いたものである等と云はる。//三楼石は土城子会唐房警察官吏派出所の東北約一里、二竜山廟の西丘上に在り。本写真の如く三個の巨石よりなる。最下の巨石の大きさは、周囲約一二・三米、高さ約一・六五米で、其の上に周囲約一〇・四米、高さ約一・四米、の巨石があり、共に稍々直方体形をなし、最上部の巨石は周囲五・六米、高さ一・〇五米位稍々卵形状をなしてゐる。|蓋し中及上の両巨石は人為的に持ち来たるものと思はれる。この所在丘及び附近には石器時代の遺物包含層があれば、これを石器時代の巨石文化の一と想像することは、あながち牽強附会と一笑することは出来ないであらう。伝説によれば唐代薛礼が高勾麗[高句麗]征伐の時、自己の力量を見せる為めに積みあげたる巨石であると云ひ、又唐代牧馬の看視台として築いたものである等と云はる。//

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