ajiataikan012
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平山佛爺洞//(一)仙人//平山仏爺洞(一) (仙人)//金州城北一里半、平山(三四一米)の嶺に大洞窟があり、佛爺洞と云ふ。洞内に入ること十數米の奥まりたる處に、自然石を刻みて出來た大石佛一座慈光を垂れてゐる。其の側に石彭と稱するものありて、叩けば妙音を發する。蓋し自然に出來た空洞の音である。又右に曲り進まば尚十數米入る事を得、其の行きづまりたる處に近く小石佛一座がある。|此の佛爺洞の文献に見ゆるは、明の遼東志を以て最古とする。即ち同志金州衞山川地理圖に「平山佛洞」とあり、又全遼志卷之四故蹟志に平山佛洞金州城西北十里有泉滴佛前石鉢とある。又洞口前に光緒十五年小陽月建立の黃帥德政碑等によれば、光緒十三年(明治十七年)の春、黃士林なる者金州に駐せし時、其夫人病に罹り、此の廟に祈願し應驗ありしために新に道路を改修し廟宇を建立し佛恩に報ずと云ふ。|今此の廟に住する者は僧ではなく道士であり、世に仙人と呼ばれてゐる。風貌頗る仙骨を帶びてゐる。寫眞は洞窟內にて冥想に耽ける仙人である//金州城北一里半、平山(三四一米)の嶺に大洞窟があり、仏爺洞と云ふ。洞内に入ること十数米の奥まりたる処に、自然石を刻みて出来た大石仏一座慈光を垂れてゐる。其の側に石彭と称するものありて、叩けば妙音を発する。蓋し自然に出来た空洞の音である。又右に曲り進まば尚十数米入る事を得、其の行きづまりたる処に近く小石仏一座がある。|此の仏爺洞の文献に見ゆるは、明の遼東志を以て最古とする。即ち同志金州衛山川地理図に「平山仏洞」とあり、又全遼志巻之四故蹟志に平山仏洞金州城西北十里有泉滴仏前石鉢とある。又洞口前に光緒十五年小陽月建立の黄帥徳政碑等によれば、光緒十三年(明治十七年)の春、黄士林なる者金州に駐せし時、其夫人病に罹り、此の廟に祈願し応験ありしために新に道路を改修し廟宇を建立し仏恩に報ずと云ふ。|今此の廟に住する者は僧ではなく道士であり、世に仙人と呼ばれてゐる。風貌頗る仙骨を帯びてゐる。写真は洞窟内にて冥想に耽ける仙人である//

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