ajiataikan012
23/156

平山佛爺洞//(二)大石佛//平山仏爺洞(二) (大石仏)//佛爺洞の大石佛は洞窟の自然石を巧みに利用して、刻みあげたものである。石佛は何に佛なるか明言することは出來ないが、獅子の背上にある蓮臺に在る處から考へれば、或は文珠菩薩ではあるまいかと推考するものである。勿論普通文珠菩薩の像の具備すべき種々の條件を總べて兼ね備へてゐるとは云はれないのである。從つて學者の御敎示を得ば幸ひである。|尚又本大石佛の彫刻年代は全く不詳ではあるが既に明代を下らぬ事は遼東志の記事でも明かである。併し數年前有名な金石學者羅振玉氏が、この石佛の寫眞を見て六朝頃のものと云はれたと云ふ事を某氏より聞いてゐるが、果して然るかは研究の餘地があるまいかと思つてゐる。|若し本石佛が文珠菩薩とすれば、滿洲の文珠崇拜と關係を有し、尠くとも遼代頃まで溯り考へられはしまいかと思ふものである。//仏爺洞の大石仏は洞窟の自然石を巧みに利用して、刻みあげたものである。石仏は何に仏なるか明言することは出来ないが、獅子の背上にある蓮台に在る処から考へれば、或は文珠菩薩ではあるまいかと推考するものである。勿論普通文珠菩薩の像の具備すべき種々の条件を総べて兼ね備へてゐるとは云はれないのである。従つて学者の御教示を得ば幸ひである。|尚又本大石仏の彫刻年代は全く不詳ではあるが既に明代を下らぬ事は遼東志の記事でも明かである。併し数年前有名な金石学者羅振玉氏が、この石仏の写真を見て六朝頃のものと云はれたと云ふ事を某氏より聞いてゐるが、果して然るかは研究の余地があるまいかと思つてゐる。|若し本石仏が文珠菩薩とすれば、満洲の文珠崇拝と関係を有し、尠くとも遼代頃まで溯り考へられはしまいかと思ふものである。//

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

page 23

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です