ajiataikan012
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金州城樓//關東州//金州城楼 (関東州)//現存の金州城は略々明の洪武十年指揮韋富によつて築造されたものである。寫眞は其の西門にあたる寧海門上の角樓である。城壁上に橫はる大砲は、淸の宣宗が耆英に命じ、渤海の防備を嚴にした際、金州城も亦渤海の要地として大砲十六門を城壁上に架した時の一遺物である。砲身約二、一米 口徑〇、二九米で道光二十一年鑄造の銘がある。遠くに見ゆる山は日露戰史に名高い南山である。又此の西門外は南山戰で第四師團の苦戰の地である。//現存の金州城は略々明の洪武十年指揮韋富によつて築造されたものである。写真は其の西門にあたる寧海門上の角楼である。城壁上に横はる大砲は、清の宣宗が耆英に命じ、渤海の防備を厳にした際、金州城も亦渤海の要地として大砲十六門を城壁上に架した時の一遺物である。砲身約二、一米 口径〇、二九米で道光二十一年鋳造の銘がある。遠くに見ゆる山は日露戦史に名高い南山である。又此の西門外は南山戦で第四師団の苦戦の地である。//

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