ajiataikan012
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伏見宮殿下御宿泊所//伏見宮殿下御宿泊所//伏見宮殿下が關東州御上陸最初の御宿泊所は林家屯會林家屯一一六番孫恒發の家で、現存の家は其の後修繕したものであるが、大きさは寸分變ることなく、家の入口を入ると兩側に大きな竈があり、右の隣室は殿下の御宿泊なされた處で、約二坪あり、南側に窓が一つ、炕の廣さは縱五、九四尺橫八、二五尺の狹隘なる陋屋である。伏見宮殿下の御日記(津田少將謹述)五月八日の一節に「此の家屋は本と此地の最新最美なるを以て稱せられ設營員は朝來數時間の淸掃に從事せしも、積年の堆塵滿面に硬着し、容易に除去し得べからず一種の臭氣紛々鼻を撲ち、屋壁は半ば破壞し、室内は煤煙の為全く黯黑色に變じ、平床には一張の決裂せる編簀あるのみ其の土間は不潔なる長櫃、戸棚、巨瓶、大桶の類も亂積し容易く動すべからず、從つて室内極めて狹隘に進退出入凡て自由ならず 窓前に豚舍ありて豚之に棲息し、塵溜ありて汚物之に藏し、傍ら數尺を隔て厠圊あり、露天にて僅に橫木を架し、臭氣勝ふべからず。・・・陋屋、殿下を容れ奉るに足らず、願くは別に一寸乾淨の地を撰び幕舍を設け、以て殿下を奉迎せんと。殿下宣はく陣中は寧る不自由を以て常とす。是れ亦人の居住する所なり。豈我身を置く能はざらんや。余は唯家人を憫然に思ふのみ。彼等今擧家十餘人にて狹隘なる一室を使用しつゝあるに非ずや。爾等其れ厚く慰藉せよと。余は感激命を奉じて退き終に是を以て御座所と定めたり・・・」|尚寫眞の老婆は七十一歳に當時の事をよく話してくれる。//伏見宮殿下が関東州御上陸最初の御宿泊所は林家屯会林家屯一一六番孫恒発の家で、現存の家は其の後修繕したものであるが、大きさは寸分変ることなく、家の入口を入ると両側に大きな竃があり、右の隣室は殿下の御宿泊なされた処で、約二坪あり、南側に窓が一つ、炕の広さは縦五、九四尺横八、二五尺の狭隘なる陋屋である。伏見宮殿下の御日記(津田少将謹述)五月八日の一節に「此の家屋は本と此地の最新最美なるを以て称せられ設営員は朝来数時間の清掃に従事せしも、積年の堆塵満面に硬着し、容易に除去し得べからず一種の臭気紛々鼻を撲ち、屋壁は半ば破壊し、室内は煤煙の為全く黯黒色に変じ、平床には一張の決裂せる編簀あるのみ其の土間は不潔なる長櫃、戸棚、巨瓶、大桶の類も乱積し容易く動すべからず、従つて室内極めて狭隘に進退出入凡て自由ならず 窓前に豚舎ありて豚之に棲息し、塵溜ありて汚物之に蔵し、傍ら数尺を隔て厠圊あり、露天にて僅に横木を架し、臭気勝ふべからず。・・・陋屋、殿下を容れ奉るに足らず、願くは別に一寸乾浄の地を撰び幕舎を設け、以て殿下を奉迎せんと。殿下宣はく陣中は寧る不自由を以て常とす。是れ亦人の居住する所なり。豈我身を置く能はざらんや。余は唯家人を憫然に思ふのみ。彼等今挙家十余人にて狭隘なる一室を使用しつゝあるに非ずや。爾等其れ厚く慰藉せよと。余は感激命を奉じて退き終に是を以て御座所と定めたり・・・」|尚写真の老婆は七十一歳に当時の事をよく話してくれる。//

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