ajiataikan012
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西城子屯の古墳//西城子屯の古墳//宋家屯會西城子屯の南數町の畠の中に在り。本年七月降雨の為め、畑の地が陷沒した結果、發見せられたもので、縱二、八一米、橫一、五五米、深さ一、六米の甎墓で、上部は長さ二、一七米、幅〇、四八米、厚さ〇、一六米の片磨岩六枚で覆はれてあつた。南側に入口があり、玄室には二個の打ちたる棺が存殘してあつたが、蓋し夫妻のものであらう。盗掘された事があるらしく、何等の副葬品を發見することが出來なかつたが、墳墓の築造方法及び有紋甎の紋樣は頗る特殊のもので今後の研究に待つものてある。從つて築造年代は不明ではあるが、此の古墳の西方數町の處に多數の明代の墓碑の存する處より推定して明代を降らぬものと思はれる。(印畫の複製を禁ず)//宋家屯会西城子屯の南数町の畠の中に在り。本年七月降雨の為め、畑の地が陥没した結果、発見せられたもので、縦二、八一米、横一、五五米、深さ一、六米の甎墓で、上部は長さ二、一七米、幅〇、四八米、厚さ〇、一六米の片磨岩六枚で覆はれてあつた。南側に入口があり、玄室には二個の打ちたる棺が存残してあつたが、蓋し夫妻のものであらう。盗掘された事があるらしく、何等の副葬品を発見することが出来なかつたが、墳墓の築造方法及び有紋甎の紋様は頗る特殊のもので今後の研究に待つものてある。従つて築造年代は不明ではあるが、此の古墳の西方数町の処に多数の明代の墓碑の存する処より推定して明代を降らぬものと思はれる。(印画の複製を禁ず)//

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