ajiataikan012
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三烈士殉節之處//關東州//三烈士殉節之処 (関東州)//金州城の西門外に在り。三列士とは明治二十七、八年戰役に於て、淸國の機密を探ぐり、我が日本軍の策戰に多大なる貢獻をし、又第二軍の通譯として從軍し金州方面の敵狀偵察の大任に當り、不幸にも淸軍に捕はれ明治二十七年十月三十日(?)敵刄に斃れた山崎羔三郎(福岡縣三十一歳)鐘崎三郎(福岡縣二十六歳)藤崎秀(鹿兒島縣二十三歳)の三士を云ふのである。此の地は實に三士の刑を受け一時葬られた處である。大正二年碑を建て三士殉節の遺跡を保存し功を永へに傳へてゐる。//金州城の西門外に在り。三列士とは明治二十七、八年戦役に於て、清国の機密を探ぐり、我が日本軍の策戦に多大なる貢献をし、又第二軍の通訳として従軍し金州方面の敵状偵察の大任に当り、不幸にも清軍に捕はれ明治二十七年十月三十日(?)敵刃に斃れた山崎羔三郎(福岡県三十一歳)鐘崎三郎(福岡県二十六歳)藤崎秀(鹿児島県二十三歳)の三士を云ふのである。此の地は実に三士の刑を受け一時葬られた処である。大正二年碑を建て三士殉節の遺跡を保存し功を永へに伝へてゐる。//

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