ajiataikan012
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大石棚//大石棚//大石棚は小石棚の南東、碧雲寺の近くの畑の中に在り甚だしく破壞されて大きさは明かではないが、殘存の石壁の高さは約二米、幅約二米、石の厚さは約三十糎あり小石棚と同時代のもので、共に石質は片磨岩である。|歐洲ではドルメンを巨人の墓場とか、フン民族の寝床とか傳へられてゐるが、是れ等の石棚は家屋と云はれて次の如き傳說がある。「昔唐の太宗に從つて高勾麗を征伐に來た薛仁貴が、此の丘上にさしかゝつた時、突然大雨が沛然として降り出して來たので、大變困り、小黑山へ走つて行き、大石を持つて來て急造の石小屋を造り大雨を避けたものが、現存の大小石棚だ」と傳へ、又昔高勾麗人が丘上で牧畜をして居た時、小黑山より石を持つて來て、石小屋を造り見張りをして居た處である」と、或は「天井石には薛仁貴の大きな足跡がある」等とも語り傳へられてゐる。|尚此の地方の土民は石棚を神聖なものとし、此の石棚を破壞すると祟りがあると云ひ、昔一石工がこれを破壞せんとして病死したと傳へられてゐる。|(印畫の複製を禁ず)//大石棚は小石棚の南東、碧雲寺の近くの畑の中に在り甚だしく破壊されて大きさは明かではないが、残存の石壁の高さは約二米、幅約二米、石の厚さは約三十糎あり小石棚と同時代のもので、共に石質は片磨岩である。|欧洲ではドルメンを巨人の墓場とか、フン民族の寝床とか伝へられてゐるが、是れ等の石棚は家屋と云はれて次の如き伝説がある。「昔唐の太宗に従つて高勾麗[高句麗]を征伐に来た薛仁貴が、此の丘上にさしかゝつた時、突然大雨が沛然として降り出して来たので、大変困り、小黒山へ走つて行き、大石を持つて来て急造の石小屋を造り大雨を避けたものが、現存の大小石棚だ」と伝へ、又昔高勾麗[高句麗]人が丘上で牧畜をして居た時、小黒山より石を持つて来て、石小屋を造り見張りをして居た処である」と、或は「天井石には薛仁貴の大きな足跡がある」等とも語り伝へられてゐる。|尚此の地方の土民は石棚を神聖なものとし、此の石棚を破壊すると祟りがあると云ひ、昔一石工がこれを破壊せんとして病死したと伝へられてゐる。|(印画の複製を禁ず)//

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