ajiataikan014
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睛川閣より武昌を望む//湖北省//睛川閣より武昌を望む (湖北省)//大別山南麓の長江に臨んだ禹功磯の上に晴川閣がある。武昌の黃鶴樓と江を挾んで對持した武漢の名勝である。明の嘉靖年中に漢陽の知府范之箴の倡建である。萬曆の世に知府程金が重修し淸代には順治、雍正、乾隆、感豐等の時屢々兵燹の厄に逢ひ度々重修再建し、同治三年知府鐘謙また修覆した。史上有名なる禹稷の行宮は閣の にあり宮内に本大禹廟がある。宋の紹興年中司農少卿張體仁稷を祀る、古し、大禹南巡し水害を治し此處に駐驛す、元の世祖有司に勅して廟貌を壯嚴にし歲時祭を行はしめ、元の成宗大德年間重修せしめた勅賜の碑石が殘つてゐる。樓閣から長江を隔てて、武昌を見れば、長江の流れ悠々數万年水源盡きず、川の雄大なること、長江を見て始めて知る。|(印畫の複製を禁ず)//大別山南麓の長江に臨んだ禹功磯の上に晴川閣がある。武昌の黄鶴楼と江を挟んで対持した武漢の名勝である。明の嘉靖年中に漢陽の知府范之箴の倡建である。万暦の世に知府程金が重修し清代には順治、雍正、乾隆、感豊[咸豊]等の時屡々兵燹の厄に逢ひ度々重修再建し、同治三年知府鐘謙また修覆した。史上有名なる禹稷の行宮は閣の にあり宮内に本大禹廟がある。宋の紹興年中司農少卿張体仁稷を祀る、古し、大禹南巡し水害を治し此処に駐駅す、元の世祖有司に勅して廟貌を壮厳にし歳時祭を行はしめ、元の成宗大徳年間重修せしめた勅賜の碑石が残つてゐる。楼閣から長江を隔てて、武昌を見れば、長江の流れ悠々数万年水源尽きず、川の雄大なること、長江を見て始めて知る。|(印画の複製を禁ず)//

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