ajiataikan015
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至聖林坊//山東省//至聖林坊 (山東省)//至聖林は曲阜縣城北二支里(十二丁)のところにある。孔子以後聖裔歷代の憤墓のところである。東漢永壽二年に相韓勅が孔子の墓を修めてより歷代擴張して、淸の康熙年間になるとその廣大なること縣城よりも廣く、二十九頃四十畝、約我が五十三萬坪あり、これに牆垣を周らしてある。至聖林廟は即ちその入口で、坊の左右は前林村と呼ばれてゐる。史記に『弟子及び魯に行きて冢に從ひて家する者百有餘室、因つて孔里と曰ふ』とあるから孔里とはこの至聖林坊のことである。|(印畫の複製を禁ず)//至聖林は曲阜県城北二支里(十二丁)のところにある。孔子以後聖裔歴代の憤墓[墳墓]のところである。東漢永寿二年に相韓勅が孔子の墓を修めてより歴代拡張して、清の康煕年間になるとその広大なること県城よりも広く、二十九頃四十畝、約我が五十三万坪あり、これに墻垣を周らしてある。至聖林廟は即ちその入口で、坊の左右は前林村と呼ばれてゐる。史記に『弟子及び魯に行きて冢に従ひて家する者百有余室、因つて孔里と曰ふ』とあるから孔里とはこの至聖林坊のことである。|(印画の複製を禁ず)//

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