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研究・調査活動―シンポジウム・ワークショップ

東洋文庫現代中国研究資料室、科研費基盤研究B「近現代中国江南の総合的研究」共催・国際シンポジウム「江南地域史研究と新史料」

・日時:12月19日(土)9:30-17:45
・会場:明治大学 リバティタワー 1093教室
・報告者と報告テーマ:
第Ⅰセッション「オーラルヒストリーと歴史研究」
高田幸男(明治大学/東洋文庫)「江南科研の概略・成果・課題(仮)」

第Ⅱセッション 「地域史研究と新史料」
梁敬明(浙江大学)「新資料的発掘与浙江区域史研究」
夏冰(蘇州市政治協商会議)「蘇州新史料的発掘与運用」
小野寺史郎(京都大学)、小浜正子(日本大学)「王清穆『農隠廬日記』の紹介」

第Ⅲセッション「地域史研究の新地平」
小川唯(明海大学)「民初地方教育行政再編と教育独立論(仮)」
方新徳(浙江大学)「評国民政府的“官辦”県政様板:“蘭渓実験県”」
馬俊亜(南京大学)「時空互動-江南与蘇北的労働力循環(1800-1950)」
飯塚靖(下関市立大学)「江浙地域社会と末端行政機構の編成」

第Ⅰセッション「オーラルヒストリーと歴史研究」司会:戸部健(静岡大学)

報告:高田幸男(明治大学/東洋文庫)「江南科研の概略・成果・課題(仮)」

 高田氏からは、氏が中心となって2004年夏頃から進められている研究プロジェクト「近現代中国江南の総合的研究―近100年間の人材的政治経済的発展基盤」(略称、江南科研)について報告があった。当プロジェクトは南京江南近現代史研究会を母体とし、江南の教育状況に関心を向けたものである。具体的には近代学制などの制度が導入された清末から現在に至る100年間を対象とし、「人材基盤」をキーワードに政治・経済・文化などの総合的な分析を試みたものである。その活動は大きく分けて、(1)日中共同の聴き取り調査、(2)新しい史料の開拓―未公刊日記と口述史料、(3)プロジェクトを通じての若手研者の育成、の三つである。

 その後、江南科研の中国側カウンターパートの1つ、南京大学の代表、かつコメンテーターとして招聘した陳謙平氏によって高田報告に対してコメントがなされた。
 陳謙平氏は、江南科研の成果への評価と今後の研究への期待が表明しつつ、江南科研の聞き取り調査について、日中戦争から中華人民共和国に至るまでの時期について聞き取り調査を行っている以上、時代の制約があることを指摘し、戦争や経済的・政治的動揺などが江南社会に与えた影響を考慮していかねばならないとコメントした。実際のところ辛亥革命から現在に至るまで、中国はグローバリゼーションや国際化の影響を受け続けているのであり、江南地域もまたこうした潮流の影響を受けてきたはずである、今後はこうした問題を視野に入れて江南地域研究を進めてはどうかという提言がなされた。

 その後、会場も含めた質疑応答がなされ、陳氏の提言に対しては経済や文化、教育などのさまざまな国際化の問題を意識しながら質問を作成していけばよいのではないかという回答があった。また広東地域との違いというものは結果として出てくるものであり、それほど意識しなくてもよいと思うという回答があった。
 方新徳氏からは、新資料発掘作業について、浙江大学の歴史学部も浙江地域に関する地方文書を出版する準備を行っており、未刊行の档案や個人の日記、契約文書などの資料を多く所有していることが言及され、聴き取り調査や関連文献の出版などを日中が提携して行うほうが効率的であるというアドバイスが提起された。また聴き取り調査について、質問者が日本人であるか中国人であるか、あるいは質問をどう工夫するかによって、相手の答えはある程度変わる可能性があるが、この点も日中が提携することで改善が期待できるという展望が述べられた。これに対しては、ぜひ日中で共同で研究を行っていきたい、我々としては江南に関する日本側の史料を提供できるだろうという回答があった。
 梁敬明氏からは、明清時代の江南と言えば江蘇南部および浙江北部という限られた地域のみが主要な考察対象となっていたが、今後は浙江の東部や蘇北なども視野に入れて江南内部の差異というものを考えていく必要があり、江南の概念を拡大してはどうかという提案がなされた。
 久保亨氏からは、江南の概念についてなぜそうした変化が生じたのかという点、および江南の内部構造に着目することが重要になってきているという趨勢に日本側も注意していきたいというコメントが寄せられた。

第Ⅱセッション「地域史研究と新史料」 司会:戸部健

報告:梁敬明「新資料的発掘与浙江区域史研究」

 梁敬明氏からは、浙江地域史研究の状況と新史料の発掘状況について報告があった。氏はまず、江南地域の概念が変化していることを指摘した。かつての明清江南史においては、浙江地域の北部のみが「江南」として考察対象とされてきたが、現在では華東師範大学の「中国江南学研究中心」や浙江師範大学の「江南文化研究中心」などを中心に浙江地域全体を江南史の一部として捉え直そうとする動きが顕著になっているという。また氏は浙江師範大学の江南歴史文化研究中心が開催した会議でも新史料が話題となり、その発掘、整理、解読が非常に重要であると討論されたことを指摘した。氏の述べる新史料とは地方文献や民間文書を意味し、より具体的には前者は各級の地方誌のことを指す。後者は博物館、档案館、図書館に所蔵されている文書や、民間の族譜、石碑、契約文書、手紙、手書き原稿、帳簿、領収書などを指す。氏はこれまでの江南史研究が「資本主義の萌芽」といったマクロな問題から説き起こされてきたために、新史料の発掘が大きな課題として残っていることを指摘し、現在までの新史料の発掘・整理状況を詳細に紹介した。さらに氏がみずから収集した関連史料である『蘭渓魚鱗図冊』と『浦江鄭氏家庭史料』に関する紹介もなされた。
 質疑応答では、報告にあった新史料の編集・出版、とくに49年以降の出版作業には、共産党による制限が加えられたのかどうかという質問があった。これに対しては梁氏からは、自身が関わってきた出版作業においてはそのようなことはなかったという回答があった。

報告:夏冰「新資料的発掘与浙江区域史研究」

 夏冰氏からは蘇州地方史の新史料の発掘とその運用について報告があった。氏は図書館や档案館などの公共の文献所蔵館で史料収集を行った後、現在では民間の文献資料の収集とオーラルヒストリーの記録に重点を置いて活動している。まず蘇州の文史資料と史誌資料の状況について説明があった後、氏がみずから行っているオーラルヒストリーの聴き取り調査の状況が具体的な事例とともに紹介された。また蘇州における家譜の保存・修繕状況について報告がなされた。またこのような新史料を用いることで、従来は表面的にしか論じられなかった問題について、深い分析を行えることが示された。たとえば蘇州の市民公社研究を例に取ると、これまで検討が不足していた市民公社の指導者の社会的身分、人間関係、具体的な組織運営の状況を解明できるという。これまでこうした指導者たちの大部分は商会のメンバーであると考えられてきたが、新史料の発掘により、むしろ彼らは紳士であったことが明らかになったという。また市民公社の運営状況についても、山塘の市民公社が同盟会の支部として運営された事例から、市民公社も時期によって異なる目的により運営されたというべきであり、一概には論じられないことが指摘された。
 質疑応答では、蘇州の市民公社は政治的団体であるという印象を受けるが、同時期に上海や北京に存在した類似の団体と比べ、どのような特徴があるのか、という質問が出された。これに対し、蘇州の市民公社の基本的な機能は上海や北京のものとあまり変わらないと言えるが、具体的な状況についてはやはり蘇州特有の地方性があるという回答があった。
 また、共産党の資料からは出てこない新事実が家譜から発見される可能性について質問がなされた。これに対し家譜の出版には自家出版、出版社からの出版、専門家からの指導を受けての出版などの形態があるものの、行政や党からの干渉はまったく受けていないという回答がなされた。またフロアからは、80年代半ばまでは中国政府は祖先祭祀を奨励せず、家譜編纂にはあまり望ましくない環境が存在したものの、浙江、江西などの地域では、村人たちが村誌編纂という名目のもと、内実は五分の一が村誌、五分の四が家譜という形態の記録を残すケースが存在したという補足説明がなされた。

報告:小野寺史郎(京都大学)、小浜正子(日本大学)「王清穆『農隠廬日記』の紹介」

 小野寺氏、小浜氏からは、セッションⅠにおいて高田氏より報告のあった「近現代中国江南の総合的研究―近100年間の人材的政治経済的発展基盤」研究プロジェクトの新史料開拓の一環として新たに発見された『農隠廬日記』(全66冊)について紹介があった。この日記は2003年に上海図書館で佐藤仁史氏によって発見された未公刊資料であり、1916年から1940年までの24年間にわたって書き綴られたものである。日記の著者・王清穆は清末の商部官僚であり、江蘇の崇明県の地方エリートである。報告では、江南科研において2006年から定期的な読書会を行い、日記の最初の部分から1917年3月22日の部分まで、および、1919年、1920年の部分がすでに読了されたことが報告された。また、1927年の国民革命期において、崇明県では食糧不足による暴動の発生が懸念されていたことなど、日記中に見られるいくつかの興味深い記述について簡単な紹介が行われた

第Ⅲセッション「地域史研究の新地平」司会:中村元哉(南山大学/東洋文庫)
小川唯「民初地方教育行政再編と教育独立論」

 小川唯氏からは、中華民国建国直後の地方教育行政の再編と教育独立論について報告があった。氏は、従来は伝統的・停滞的イメージをもって語られがちであった袁世凱政権下の教育行政について、地方の教育界の主体的、積極的な改革構想に着目することにより、むしろ1920年代の教育独立思想の先駆けとも言うべき特徴が見いだせると指摘した。氏は具体的事例として浙江省教育会を例に取り、これまではあまり使用されてこなかった『全浙教育会連合会会議録』と『教育週報』の二つの資料を用い、この教育会が構想していた「全浙教育会連合会」という教育組織や、「教育独立案」という教育改革論などの検討を行った。前者は省の教育について省と県の関係者が議論する機関であり、省の代表的な教育組織となることを意図したものであった。後者は教育的行政を再編成し、自分たちがそこに関わりうる空間を作り出そうとする主張であり、行政に依存しない民間主導の意識が濃厚である点、中央から地方まで系統化された合議を実現することが、教育界を代表する者としての代表制を高めると見なされた点、政教分離に基づく専業意識が存在した点が特徴的であると指摘された。

 上記報告に対し、金子肇氏、夏冰氏によってコメントがなされた。
 金子氏からは、報告ペーパーにおいて浙江省教育会のメンバーは近代教育を受けた比較的新しいエリート層などという表現があったが、彼らは地方エリートの中でどのような地位を占めていたのか、当時の新聞、雑誌などからそうした事情を知ることはできるのか、教育会の提案は省議会、県議会との衝突を生まなかったのかという点について質問が提起された。
また夏氏からは、報告が主に章程に基づいて教育会の構想を探ったものであり、実際のプロセスが明らかになっていない点、章程や提案の説明に際して必要となる浙江教育行政の実際の運営状況が説明されていない点、浙江省の民国初期における実際の権力関係に対する分析が必要である点が指摘された。

 その後、質疑応答がなされた。金子氏の質問に対し、第一師範大学出身者や教員層や、省議会メンバーと重複していることが確認され、地方社会における地位としては学閥的意味合いが強かったと考えられるという回答があった。また夏氏からの指摘は今後の課題であることが示された。
 フロアからは、省と県の教育会が団結して動くことがなぜ可能になったのか、衝突はなかったのかという質問がなされた。また、報告中にあった教育独立案と同様の構想は、清末の江蘇教育会にも見られることが指摘された。
 これに対しては、省教育会において経費を奪うのではなく経費分配権を奪うという形で権限を限定し、紛争回避が図られていたこと、しかし1920年代にはやはり省議会との矛盾が露呈したこと、また浙江省教育会が上海を意識していたことは確認されるという旨の回答があった。また清末との違いとして、省教育会は教員層の利益を追求していた点が指摘された。

方新徳「評国民政府的“官辦”県政様板」

 方新徳氏からは、国民政府によって行われた近代的自治の実験である「実験県」のうち、浙江省蘭渓県の事例について報告があった。氏は蘭渓における実験を進めた勢力がCC派など国民党の主流派であり、他の実験県が民間人士を主力としていたこととは大きく異なる点を指摘した。また、県政実験の内容が第一段階においては県長の職権強化を図り、第二段階においては「県基礎工作」と「県政建設工作」を試みる内容であったことを報告した。前者の「県基礎工作」は治安、土地、財政、戸籍などに関わる政策であり、これは一定の成果を収めたものの、後者の「県政建設工作」はほとんど成果を得られなかったという。全体として蘭渓の実験は一定の改良効果を見せたが、最終的には全国へ普及することなく終焉を告げた。

 金子氏からは、在地住民から見るとこの実験はどのような意味を有していたのか、既得権益を持つ在地エリートからの反発はなかったのか、またこうした問題を江南地域史として見た場合、江蘇省と比較するとどのような論点が出てくるのか、という問題が提起された。
 夏氏からは、関連する先行研究についての説明要求があった。また、蒋介石が実験県を必要とした理由を分析する際、できるだけ中立的な用語を使うべきではないかという意見が提示された。

 上記報告に対し、金子肇氏、夏冰氏によってコメントがなされた。
 質疑応答では、蘭渓実験県は他の実験県と比べ、強大な行政権力が治安や徴税問題に取り組んだところに特色があったのではないか、また、県全体を改革するには、民間主導よりも行政主導のほうが効率的だったのではないか、五大実験県同士の交流では高く評価されたのではないかという指摘がなされた。また県党部と県の関係はどういうものであったのか、また司法処が存在するのか地方法院が存在するのか、地方法院が存在する場合、県政府の改革案は旧来の法律や制度に対する違法行為となり、司法と県政府はしばしば摩擦を起こすが、そのような事態はなかったのかという質問が提起された。
 これらの質問に対し、方氏は、官僚の作用は当然存在したこと、上の力が強かったので地方勢力からの反発はあまり顕在化しなかったこと、49年以前の文史資料は蘭渓実験県を賞賛しているが、地元の人々には発言権がなかった点は考慮せねばならないことを指摘した。

馬俊亜「時空の相互作用:江南と蘇北の労働力循環(1800~1950)」

 馬俊亜氏からは江南と蘇北における労働力の循環について報告がなされた。かつて蘇北は江南よりも農業、手工業の発達した地域であった。しかし明清以降、蘇北は江南地域よりも落ちぶれ、蘇北人は江南で重労働に従事するようになり、一方江南人は蘇北で頭脳労働者となる状況が出現した。中国に近代工業が出現すると、江南は国内でも発展の進んだ地域となり、蘇北や内陸部は江南地域の熟練労働者を引き込むようになったが、蘇北の人々は教育を受ける機会の欠如と豊富な同郷関係の欠如とにより、また、労働力市場の閉鎖性のために、報酬の低い肉体労働や不潔でランクの低いと見なされる仕事につき、労働力市場の最底辺に位置することになった。

 以上の報告に対し、コメンテーターである久保亨氏、梁敬明両氏から以下のようなコメントがなされた。
 久保氏からは江南の労働力市場は、大量の労働力を受け入れる開放性と、特定地域の出身者が特定の職業を独占するという閉鎖性を併せ持つが、両者は併存していたのか、あるいは後者が前者を打破していく過程であったのか、また、労働力の移動を促進させ労働力市場を拡大させた要因は、どのように捉えればよいのか、明清以降の努力は、蘇北の労働者の素質改善に成果を残さなかったのかどうかという質問が提起された。
 梁氏からは労働力市場のメカニズムを把握しようとするならば、労働力の循環の各段階の把握、および労働力の移動と労働力内部のグループ化についても検討したほうがよいのではないかという提言がなされた。また150年の間、労働力の循環にはどのような変化があったのか、流動人口と移民をどう区別するか、江南と蘇北との間の人口移動を仲介するものがあったかどうかといった質問が提起された。さらに、地域的な差違のほか、文化的アイデンティティなどの共通点についても議論すべきであり、市場システムを考察する際には、労働力の循環と移動とは、前者をひとつのシステムと見なし区別するべきであるなどの指摘も行われた。

 さらに会場を含めた質疑応答がなされた。久保氏の第一の質問に対しては、周知のように社会的地位の高い仕事は江南人が従事し、肉体労働は蘇北人が担うという重層的な構造が労働力市場には存在していたので、閉鎖性と開放性が併存していたと認識している、ただし同じ江南人内部にも、銀行業は寧波人が独占するなどのさらなる閉鎖性が見られ、蘇北人の場合は、市場における肉体労働者同士の競争が激しかったために、その閉鎖性はとくに激しいものだったと思われるという回答があった。第二の質問に対しては、梁氏の質問とも関連させ、鉄道が大きな役割を果たしていると考えられること、移民の動きには太平天国などの契機ごとに段階的な動きが見られたこと、移民とは職業を持つ者を指すことなどが示され、また、蘇北の教育状況、価値観について簡単な紹介があった。労働力の循環と移動の区別に関しては、梁氏の見解に賛同すると回答があった。第三の質問に対しては、蘇北労働者の質を向上させる努力は成果が見られなかったという旨の回答があった。

飯塚靖「江浙地域社会と末端行政機構の編成」

 飯塚氏からは、南京政府期の末端行政機構の実態と問題点について報告があった。清朝は郷紳を地方自治の主体として承認し、末端行政機構に取り込むことで権力の浸透を図ろうとした。すなわち伝統的な農村市場圏を利用し、市・鎮に居住していた商人や地主の自治機能を用いて末端支配を構築しようとしたという。これに対し、南京国民政府は、伝統的な農村市場圏とは一致しない機械的な自治区を新たに編成し、郷紳層の排除を意図した。南京国民政府が依拠しようとした最末端の自治組織である郷・鎮は、清朝が依拠しようとした市・鎮よりも単位が小規模であり、より狭い範囲内における直接参加型の自治を、村落を通じて実現しようとしたものであった。しかし1934年以降、末端組織に対しては自治機能よりも行政機能が期待されるようになると、郷・鎮は行政組織として規模が拡大され、その下部に保・甲が編成されるようになった。だが、結局郷・鎮は行政組織として十分な内実を備えるには至らず、南京国民政府が各種政策を農村で遂行するときのネックとなった。

 以上の報告に対し、コメンテーターである久保亨氏、梁敬明両氏から以下のようなコメントがなされた。
 久保氏からは市場圏の中にも局地的な市場圏と広域な市場圏とがあり、伝統的な農村市場圏というものは固定的なものではない、国民政府の自治区は、拡大しつつあった広域な市場圏に対応させたものではなかったかという指摘がなされた。また、報告では南京国民政府の政策は十分な成果をあげられなかったとしているが、社会の変化とは経済の変化に比して時間を要するものであり、たとえ小さな変化でも存在したのであれば、より長期的な視野から注意深く観察していくべきではないかという提言がなされた。
 梁氏からは、農村の権力構造と地方自治との間にはどのような関係があったのか、また法的な体制と事実上の体制との間にはどのような関係があったのか、さらに市鎮関係と地域との関係はどのようなものであったのかという三つの疑問点が提起された。

 質疑応答では、国民政府の自治区は広域な市場圏に対応させたものではないかという久保氏の指摘に対しては、今後の研究課題として検証していくという回答がなされた。また南京政府時期の行政組織の編成をもっと大きな歴史的枠組みから捉えるべきだという提言に対しても、その点に対して賛成であり、県以下に行政機関を設けていくプロセスは国民を作り出すという意味で重要な意味を持ったと考えられるという回答があった。
 また夏氏からは、報告中における農村の行政組織の責任者である「図董」と「教造」の関係に関して質問が出された。梁氏から提起された農村内部の権力構造に関する質問に対しとともに、当時地主が不在化しており、徴税請負のために教造が必要とされたと認識しており、教造、図董に関する研究としては岩井茂樹、高嶋航の研究が挙げられた。教造は農村の外に住んでいたのではないかという印象を受け、村落外から村落へ働きかけを行っていたと考えられる、図董に関しては李国祁、王樹槐の研究を参考にするようにという回答があった。

報告者・コメンテーター紹介
高田 幸男(たかだ ゆきお)…
明治大学文学部教授、東洋文庫現代中国研究資料室長。主な著作に『現代中国の歴史』(共著、東京大学出版会、2008年)など。

陳 謙平(CHEN Qian ping)…
南京大学歴史系教授。民国政治・外交史。歴史学博士。主な著作に『抗戦前後之中英西藏交渉(1935-1947)』(三聯書店、2003年)など。

梁 敬明(LIANG Jing ming)…
浙江大学歴史系教授、同大中国近現代史研究所副所長。歴史学博士。主な著作に『走近鄭宅-郷村社会変遷与農民生存状態(1949-1999)』(中国社会科学出版社、2005年)。

夏 冰(XIA Bing)…
蘇州市政治協商会議文史資料編纂委員会副処長。

小野寺 史郎(おのでら しろう)…
京都大学人文科学研究所助教。博士(学術)。近代中国のナショナリズムを研究テーマとする。主要論文に「清末民初の国旗をめぐる構想と抗争——青天白日旗と五色旗について——」『歴史学研究』 第803号、2005年など。

小浜 正子(こはま まさこ)…
日本大学文理学部教授。博士(人文科学)。主な著作に『近代上海の公共性と国家』(研文出版、2000年)など。

小川 唯(おがわ ゆい)…
明海大学外国語学部講師。中国近代教育史、浙江地域史。主な著作に『中国近現代史研究のスタンダード』(共著、研文出版、2005年)など。

方 新徳(FANG Xin de)…
浙江大学歴史系教授。アーカイブ学。共著に『中国档案事業史』(中国人民大学出版社、1994年)など。

金子 肇(かねこ はじめ)…
下関市立大学経済学部教授。近代中国政治史。主な著作に『近代中国の中央と地方:民国前期の国家統合と行財政』(汲古書院、2008年)など。

馬 俊亜(MA Jun ya)…
南京大学歴史系教授。近代中国経済史。主な著作に『混合与発展』(社会科学文献出版社、2003年)など。

飯塚 靖(いいづか やすし)…
下関市立大学経済学部教授。博士(文学)。近代中国経済史及び農村・農業史。主な著作に『中国国民政府と農村社会―農業金融・合作社政策の展開』(汲古書院、2005年)など。

久保 亨(くぼ とおる)…
信州大学人文学部教授。中国近現代経済史。主な著作に『戦間期中国〈自立への模索〉――関税通貨政策と経済発展』(東京大学出版会、1999年)など。

文責・
衛藤安奈(慶應義塾大学大学院博士課程)
大澤肇(人間文化研究機構/東洋文庫)

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